お世辞は必要か【本音】
自分が納得していない髪型に対して「いいね!」といわれたり、あんまり可愛くないなと思う持ち物に対して「可愛い」といわれたりしてなんとも言えない気持ちになったことはないだろうか。
人は価値観が同じ人を好む傾向にあり、お世辞を言うのは好かれたいという気持ちからなのであろう。確かに、好かれる技術を身に着けることを全否定するつもりはない。
しかし、
お世辞を言うことは、あまりにもデメリットが多い。
例えばである。
自分が似合っていないと思っているその髪型を、お世辞で褒められたとする。すると、お世辞を言われた側は自分とは価値観が合わないと判断する。この時点で、デメリットの発生である。さらに、そのお世辞に対して「ありがとう」と返してしまったなら、お世辞を言った側も、相手と価値観があっていないと感じる。つまり、本当は同じ価値観であるはずなのに、互いに価値観が合わないと思ってしまうのである。また、もしもお世辞を言われた側が正直に似合ってないと思うと伝えたなら、お世辞を言った側はお世辞を言うメリットである「好かれる(価値観があっていると思わせる)」という目的さえも果たせず、お世辞を言う労力は一瞬で無駄なものとなってしまい後悔の念に襲われるであろう。
お世辞を言って、自分の嘘の価値観を相手に植え付けるくらいなら、自分の価値観を主張して嫌われる方がいい(おそらく嫌われるということはない)。
自分の価値観と他者の価値観が衝突したときに、本当の自分の価値観というものを知ることができる。もしかしたら、自分の価値観が変化するかもしれないし、相手の価値観を変えてしまうことがあるかもしれない。とてもいいことである。もっともっと価値観を衝突させて、自分というものを知っていくべきだ。
そのような点において、私はネット炎上(意見に関する炎上)に関して肯定的である。ネットでコメントする側にメリットがあるかは別として、炎上してしまった側は、他者との価値観の大きな違いに気が付くことができる。その結果、改めて自分の価値観について考え直すという機会が与えられる。炎上した側のメリットは非常に大きい。
だが、それでも褒められるとうれしいというのは確かである。
相手の髪型が似合ってないなと感じたら、お世辞を言うのではなく、別の観点から見て「似合っている」可能性はないか考え、それを伝えたうえで自分の好みではないことを主張するとよいかもしれない。
決して、唐突に
「ダサい…」
などと言ってはいけない。
自分の価値観さえきちんと伝わればよく、わざわざ自分から嫌われに行くメリットはない(今後の関係性にもよるが)。
お世辞を言うことを避け、うまく自分の価値観を伝える技能を身に着けるべきであろう。