時間の“妥協”
最近、お金と時間について考えることがある。
そして、お金と時間について考えながら、これについて考えることに時間を費やして本当に意味があるのかという深みにはまり、さらに時間を費やす。
学生は自由な時間が多く、その自由さ故にバイトか資格取得か趣味か勉強かボランティアかの選択に非常に悩み、決断が遅いほど時間だけが削られていく。だからと言って、浅はかな判断では、お金も時間も無駄にし、何かしらの経験すら浅いものになり兼ねない。
現在、私は春休みの真っただ中であり、多くの時間をアルバイトに費やしている。毎日のように、果たしてこんな生活でよいのかと考えるが、10分悩んでいる間にも130円稼げると考えると、やはり悩むより行動が大切だと判断できる。
しかし、難しいのは時間をかけることにより、大きな金額が手に入る可能性がある場合である。しかし、これは可能性であって確実に手に入るわけではない。例えば、給付型奨学金の手続き。様々な条件をクリアする必要があり、時間をかけて書類を記載しても、必ずお金が入ってくるという保証はない。
何に時間を費やせばいいか、アルバイトで稼いだ方がいいか、大学の組織(部活、ボランティア、研究の手伝い)で活動するべきかなどの判断は非常に難しい。
時間の“妥協”(結論)
私たちは、時間を無駄にする覚悟というものが必要なのかもしれない。
正直、アルバイトに時間を費やすことが、正しい選択かは分かるものではないが、毎日何かしらの出来事が起き、一つ一つ対応していくというような経験は確実にできている。ついでに、お金も入る。おそらくこれ以上、バイトに時間を費やすことに関して考えることは無意味であろう。
時間の“妥協”は経験につながり、総合的にみると充実した生活をおくることにつながると私は考える。
しかし、この結論が当てはまるのは、考えすぎて何事にも手をつけられなくて悩んでいる人である。正直、何も考えずにとにかく行動に移せる人は、私からしたらうらやましいくらいであるが、そのような人になることはできない。どうせなら、考えることは自分ならいつでもできるという自信を持ち、行動に移せればいいと思う。
時間に関して“妥協”することで、行動が早くなり、時間に余裕が生まれる。うまくいけば忙しくなる可能性もあるが、充実した時間を送ることができる。
周りの、「時間を大切にしろ」という言葉は、あながち間違いとは言えないのだが、時間を大切にする気持ちが時間を無駄にすることにつながる可能性があるということを理解する必要があるだろう。
以上。