*この記事はスポーツの美化やスポーツにおけるメリットの過剰協調の問題に関する内容です。スポーツ最高!スポーツ絶対推奨!って方は見ない方がいいかもしれないです。

*目次*
はじめに
悪質タックル問題、甲子園投げすぎ問題、駅伝途中棄権問題、スポーツ報道問題……。
スポーツの闇が語られだしたのは比較的最近のように感じる(飽くまで個人的感覚)
しかし、「スポーツの闇(負の側面)」に触れている著書や論文が数々存在することから以前から問題にはされていたようである。
情報社会の今、スポーツの闇を隠し通すことはこれ以上不可能であろう。
では、これまで誰がスポーツを美化し、メリットばかりに目を向け、
スポーツ=善
という風に、人々を洗脳してきたのだろうか。
体育の問題(保健体育学習指導要領)
まずは、スポーツと非常に関連がある「体育」について見ていきたい。
以下の文章は中学校保健体育学習指導要領、2017年改訂で新しくなった「目標」である。(中学校保健体育新旧対照表より引用)
↓以下引用
体育や保健の見方・考え方を働かせ,課題を発見し,合理 的な解決に向けた学習過程を通して,心と体を一体として捉え, 生涯にわたって心身の健康を保持増進し豊かなスポーツライフ を実現するための資質・能力を次のとおり育成することを目指 す。
⑴ 各種の運動の特性に応じた技能等及び個人生活における健 康・安全について理解するとともに,基本的な技能を身に付 けるようにする。
⑵ 運動や健康についての自他の課題を発見し,合理的な解決 に向けて思考し判断するとともに,他者に伝える力を養う。
⑶ 生涯にわたって運動に親しむとともに健康の保持増進と体 力の向上を目指し,明るく豊かな生活を営む態度を養う。
↑引用おわり
2017年に改訂されてはいるが、以前のものに追記されただけであり、大きく内容が変更している部分は見受けられない。よって、この内容を参考にする。
着目したいのは、「豊かなスポーツライフ」を無条件に推奨しているという点である。
スポーツによって人生が豊かになるかは人それぞれと言わざるを得ない。
スポーツの道に進み、引退後「クスリ」に手を染めたものいるし、万引きで捕まったものもいる。「豊かなスポーツライフ」は、スポーツをしている間だけでなく、充実した日常(スポーツは非日常的活動…一応)を過ごせることが目的でなければ意味がない。
確かに、身体を動かさなければメタボやロコモになり、病気やけがをするからやっぱりスポーツはするべきだという意見もあるかもしれない。
しかし、予防に必要なのは、
運動
である。
適当な運動(量・質などが適している)は、身体によいということは否定できない可能性が高い。
しかし、
スポーツの無条件の推奨はその「適当」を超えることを許しているのである。
スポーツをしないことは問題であるが、やりすぎることに関してはほったらかし。
非日常(スポーツ)に没頭しすぎた結果、日常に戻れなくなり、クスリや窃盗の道に行かざるを得なくなったもの(プロ以外のものを含めるとかなりの人数がいるように思われる)に関しては、政府は無視である。
つまり、文部科学省(政府)は、
スポーツのメリットを過剰に強調し、スポーツの闇を隠している団体の一つといえよう。
さらに、スポーツのメリットを過剰に協調していると断言できるのが、これも文部科学省が発行している「スポーツ基本法」の前文である。
↓以下引用(長いので読まなくてもいいです)
「スポーツは、世界共通の人類の文化である。
スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利であり、全ての国民がその自発性の下に、各々の関心、適性等に応じて、安全かつ公正な環境の下で日常的にスポーツに親しみ、スポーツを楽しみ、又はスポーツを支える活動に参画することのできる機会が確保されなければならない。
スポーツは、次代を担う青少年の体力を向上させるとともに、他者を尊重しこれと協同する精神、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培い、実践的な思考力や判断力を育む等人格の形成に大きな影響を及ぼすものである。
また、スポーツは、人と人との交流及び地域と地域との交流を促進し、地域の一体感や活力を醸成するものであり、人間関係の希薄化等の問題を抱える地域社会の再生に寄与するものである。さらに、スポーツは、心身の健康の保持増進にも重要な役割を果たすものであり、健康で活力に満ちた長寿社会の実現に不可欠である。
スポーツ選手の不断の努力は、人間の可能性の極限を追求する有意義な営みであり、こうした努力に基づく国際競技大会における日本人選手の活躍は、国民に誇りと喜び、夢と感動を与え、国民のスポーツへの関心を高めるものである。これらを通じて、スポーツは、我が国社会に活力を生み出し、国民経済の発展に広く寄与するものである。また、スポーツの国際的な交流や貢献が、国際相互理解を促進し、国際平和に大きく貢献するなど、スポーツは、我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである。
そして、地域におけるスポーツを推進する中から優れたスポーツ選手が育まれ、そのスポーツ選手が地域におけるスポーツの推進に寄与することは、スポーツに係る多様な主体の連携と協働による我が国のスポーツの発展を支える好循環をもたらすものである。
このような国民生活における多面にわたるスポーツの果たす役割の重要性に鑑み、スポーツ立国を実現することは、二十一世紀の我が国の発展のために不可欠な重要課題である。
ここに、スポーツ立国の実現を目指し、国家戦略として、スポーツに関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。」
↑引用終わり
スポーツのメリットしか目に入らないという人であれば、何の違和感もなくこの文章を読むことができるかもしれないが、闇にしか目がいかない私にはもう見逃すことができない(すべて述べることはできないが、引用の中の太字部分は私が個人的に違和感を感じる部分である)。
保健体育の学習指導要領で述べているが、
「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む」ことができるかどうかは人それぞれである。
やはり、スポーツの没頭から放たれたときに、目標を見失い、生き方が分からなくなる人が存在するのである。
非日常(スポーツ)はやはり日常を越してはいけないのである。
おわりに
文部科学省(政府)によって、隠されるスポーツの闇。さらに、政府に圧力をかけられスポーツを美化して報道せざるを得ないテレビメディア。私たちは知らないうちに洗脳され、スポーツの闇を気づかぬうちに無視して生きている。しかし、以下の文(指導要領一部)に関しては、私が共感できるものである。
「(2)運動や健康についての自他の課題を発見し,合理的な解決 に向けて思考し判断するとともに,他者に伝える力を養う。」(引用)
スポーツの闇(負の側面、デメリット)が多く存在することは確実であり、それらを自他の課題として取り上げ、解決に向けて思考し判断する。そして、他者に伝える。
スポーツだけではないが、闇の部分やデメリットに目を向けるということは大変な労力を強いる。少なくともこの記事を書いている私に「快」の感情はない。スポーツ最高!スポーツ絶対推奨!という方が楽であるし嫌な気分にはならない。しかし、闇やデメリットを無視し続けていいことがあるだろうか。
その答えは、「否」であると私は考える。
スポーツの闇が明らかにされ解決されることは、スポーツがよりよいものになることを意味する。
私は、スポーツの闇を含め、ものごとのデメリットや負の側面を無視しないようにしていきたいと考えている。
以上。