【人生は解釈】思考が暴走しがちな一般大学生。

”思考”をアウトプットせずにはいられない大学生によるブログです。

太陽を見て何を思うか

 

太陽を見て何を思うか?

 

眩しい…

 

暑い…

 

今日は雲に隠れて見えない…

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私の場合はこう…

あ、今日は晴れてる。

あったかいなあ。

でも人があたたかいと感じるのは、太陽から放出された赤外線が肌を刺激して、その刺激を脳で感じているだけであって……あったかいってなんだろ~?

 

しかし、友人の場合はこう…

あ、太陽だ。

太陽に触れることができる人っていないんだよなぁ。

近づいたら蒸発しちゃうし。

それにしても宇宙ってどこまで広いんだろう。

とゆうか宇宙の外側ってなんだ……?

 

 

太陽を見て人間を感じた私と、太陽を見て宇宙を感じた友人。

 

見たものは眼の外側にあるのではなく、眼のこちら側でつくった世界であることがより否定できなくなる出来事でした。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【スポーツ】闇を無視しない


*この記事はスポーツの美化やスポーツにおけるメリットの過剰協調の問題に関する内容です。スポーツ最高!スポーツ絶対推奨!って方は見ない方がいいかもしれないです。

 

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*目次*

 

 

はじめに

悪質タックル問題、甲子園投げすぎ問題、駅伝途中棄権問題、スポーツ報道問題……。

 

スポーツの闇が語られだしたのは比較的最近のように感じる(飽くまで個人的感覚)

 

しかし、「スポーツの闇(負の側面)」に触れている著書や論文が数々存在することから以前から問題にはされていたようである。

 

情報社会の今、スポーツの闇を隠し通すことはこれ以上不可能であろう。

 

 

では、これまで誰がスポーツを美化し、メリットばかりに目を向け、

 

スポーツ=善

 

という風に、人々を洗脳してきたのだろうか。

 

 

体育の問題(保健体育学習指導要領)

まずは、スポーツと非常に関連がある「体育」について見ていきたい。

 

以下の文章は中学校保健体育学習指導要領、2017年改訂で新しくなった「目標」である。(中学校保健体育新旧対照表より引用)

 

↓以下引用

 体育や保健の見方・考え方を働かせ,課題を発見し,合理 的な解決に向けた学習過程を通して,心と体を一体として捉え, 生涯にわたって心身の健康を保持増進し豊かなスポーツライフ を実現するための資質・能力を次のとおり育成することを目指 す。

⑴ 各種の運動の特性に応じた技能等及び個人生活における健 康・安全について理解するとともに,基本的な技能を身に付 けるようにする。

 運動や健康についての自他の課題を発見し,合理的な解決 に向けて思考し判断するとともに,他者に伝える力を養う。

⑶ 生涯にわたって運動に親しむとともに健康の保持増進と体 力の向上を目指し,明るく豊かな生活を営む態度を養う。

↑引用おわり 

 

2017年に改訂されてはいるが、以前のものに追記されただけであり、大きく内容が変更している部分は見受けられない。よって、この内容を参考にする。

 

着目したいのは、「豊かなスポーツライフ」を無条件に推奨しているという点である。

 

スポーツによって人生が豊かになるかは人それぞれと言わざるを得ない。

 

スポーツの道に進み、引退後「クスリ」に手を染めたものいるし、万引きで捕まったものもいる。「豊かなスポーツライフ」は、スポーツをしている間だけでなく、充実した日常(スポーツは非日常的活動…一応)を過ごせることが目的でなければ意味がない。

 

確かに、身体を動かさなければメタボやロコモになり、病気やけがをするからやっぱりスポーツはするべきだという意見もあるかもしれない。

 

しかし、予防に必要なのは、

 

運動

 

である。

 

適当な運動(量・質などが適している)は、身体によいということは否定できない可能性が高い。

 

しかし、

 

スポーツの無条件の推奨はその「適当」を超えることを許しているのである。

 

スポーツをしないことは問題であるが、やりすぎることに関してはほったらかし。

 

非日常(スポーツ)に没頭しすぎた結果、日常に戻れなくなり、クスリや窃盗の道に行かざるを得なくなったもの(プロ以外のものを含めるとかなりの人数がいるように思われる)に関しては、政府は無視である。

 

つまり、文部科学省(政府)は、

 

スポーツのメリットを過剰に強調し、スポーツの闇を隠している団体の一つといえよう。

 

スポーツ基本法

さらに、スポーツのメリットを過剰に協調していると断言できるのが、これも文部科学省が発行している「スポーツ基本法」の前文である。

 

↓以下引用(長いので読まなくてもいいです)

「スポーツは、世界共通の人類の文化である。
 スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利であり、全ての国民がその自発性の下に、各々の関心、適性等に応じて、安全かつ公正な環境の下で日常的にスポーツに親しみ、スポーツを楽しみ、又はスポーツを支える活動に参画することのできる機会が確保されなければならない。
 スポーツは、次代を担う青少年の体力を向上させるとともに、他者を尊重しこれと協同する精神、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培い、実践的な思考力や判断力を育む等人格の形成に大きな影響を及ぼすものである。
 また、スポーツは、人と人との交流及び地域と地域との交流を促進し、地域の一体感や活力を醸成するものであり、人間関係の希薄化等の問題を抱える地域社会の再生に寄与するものである。さらに、スポーツは、心身の健康の保持増進にも重要な役割を果たすものであり、健康で活力に満ちた長寿社会の実現に不可欠である。
 スポーツ選手の不断の努力は、人間の可能性の極限を追求する有意義な営みであり、こうした努力に基づく国際競技大会における日本人選手の活躍は、国民に誇りと喜び、夢と感動を与え、国民のスポーツへの関心を高めるものである。これらを通じて、スポーツは、我が国社会に活力を生み出し、国民経済の発展に広く寄与するものである。また、スポーツの国際的な交流や貢献が、国際相互理解を促進し、国際平和に大きく貢献するなど、スポーツは、我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである。
 そして、地域におけるスポーツを推進する中から優れたスポーツ選手が育まれ、そのスポーツ選手が地域におけるスポーツの推進に寄与することは、スポーツに係る多様な主体の連携と協働による我が国のスポーツの発展を支える好循環をもたらすものである。
このような国民生活における多面にわたるスポーツの果たす役割の重要性に鑑み、スポーツ立国を実現することは、二十一世紀の我が国の発展のために不可欠な重要課題である。
 ここに、スポーツ立国の実現を目指し、国家戦略として、スポーツに関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。」

↑引用終わり

 

スポーツのメリットしか目に入らないという人であれば、何の違和感もなくこの文章を読むことができるかもしれないが、闇にしか目がいかない私にはもう見逃すことができない(すべて述べることはできないが、引用の中の太字部分は私が個人的に違和感を感じる部分である)。

 

保健体育の学習指導要領で述べているが、

 

「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む」ことができるかどうかは人それぞれである。

 

やはり、スポーツの没頭から放たれたときに、目標を見失い、生き方が分からなくなる人が存在するのである。

 

非日常(スポーツ)はやはり日常を越してはいけないのである。

 

おわりに

文部科学省(政府)によって、隠されるスポーツの闇。さらに、政府に圧力をかけられスポーツを美化して報道せざるを得ないテレビメディア。私たちは知らないうちに洗脳され、スポーツの闇を気づかぬうちに無視して生きている。しかし、以下の文(指導要領一部)に関しては、私が共感できるものである。

 

「(2)運動や健康についての自他の課題を発見し,合理的な解決 に向けて思考し判断するとともに,他者に伝える力を養う。」(引用)

 

 スポーツの闇(負の側面、デメリット)が多く存在することは確実であり、それらを自他の課題として取り上げ、解決に向けて思考し判断する。そして、他者に伝える。

 

 

スポーツだけではないが、闇の部分やデメリットに目を向けるということは大変な労力を強いる。少なくともこの記事を書いている私に「快」の感情はない。スポーツ最高!スポーツ絶対推奨!という方が楽であるし嫌な気分にはならない。しかし、闇やデメリットを無視し続けていいことがあるだろうか。

 

その答えは、「否」であると私は考える。

 

スポーツの闇が明らかにされ解決されることは、スポーツがよりよいものになることを意味する。

 

私は、スポーツの闇を含め、ものごとのデメリットや負の側面を無視しないようにしていきたいと考えている。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【日常】混雑するスーパーには交通ルールを

先日、飲み物でも買おうとあるスーパーに寄った時のこと。

 

歩けない。

 

まっすぐドリンクコーナーに行きたいが、あっちもこっちも行き止まり。

 

あそこは通れると思い、大通り(比較的大きめの道)を歩くも、ひょこっと小道から飛び出してくるカート。

 

100円のドリンクを手に入れるのに10分。10分というのは、時給900円のバイトで換算すると130円。100円のドリンクを手に入れるために130円分の時間を損失している。

 

大問題である。

 

今回は、私が個人的にスーパーにおいてこんな交通ルールがあればいいのにと思ったのでまとめてみた。

 

*目次*

 

店内は徐行

混雑している店における早歩き以上のスピードでの移動は厳禁です。もちろん、一本道で見通しがよければ少々スピードを出しても大丈夫です。一般道路と違って、建物から人や車が飛び出してくるというようなことはありません。しかし、交差点付近や人が多い通路は徐行しましょう。衝突してから後悔しても遅いです。スピード違反で捕まることはないですが、衝突した時の気まずさは半端ないです。

 

商品を見る時は棚際に寄る

たまに通路のど真ん中から商品を眺めている方がいらっしゃいます。前を通るのは気が引けますし、後ろを通るにも若干狭いという状況です。そういう場合は、存在感を出しながら後ろを通過して、若干前によけてもらうという方法で切り抜けるとよいのですが、通路をスムーズに通過したいというのが本望です。棚の商品を見る時に、少しだけ棚際に寄ってもらえるだけで、他の人はスムーズに通路を通ることができるのです。

 

不意のUターンは禁止

人が多い店内でも、比較的スムーズに前に進める時があります。それはある程度、人が流れる方向が定まっているときです。しかし、油断は禁物です。不意にUターンをかましてくる人がいます。対策としては、ある程度前者との距離をあけておくことです。接近しすぎると、不意のUターンによる衝突事故に巻き込まれます。Uターンをする側は、まずはゆっくりとスピードを落としたのちに一旦停止し、後方確認を終えた後にUターンを行うようにしましょう。決してスピードを出した状態から、唐突に後ろに方向を転換するようなことはしてはいけません。

 

優先通路を意識

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スーパーにおける優先通路

基本的に太い通路が優先です。例えば、上の図のようなスーパーの場合は、A通路が最優先通路、B通路が二番目の優先通路になります。細い通路から優先通路に出る場合は、一時停止をすることで衝突を防ぐことができます。もちろん、車ほどスピードが出ているわけではありませんので、完全に一時停止をするという規則まで設ける必要はないかもしれません。しかし、一番衝突の危険性が高いのは見通しの悪い交差点です。細い通路から出る際に、停止するくらいの気持ちでスピードを落とし、人と衝突しないことを確認したうえで、通路に出るとよいのではないでしょうか。

 

交差点を塞がない

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通路が塞がれて出られない事例

最近、私がスーパーでアイスを買おうとした時のこと。手にアイスを持ちまっすぐレジに向かおうとしましたが、そう簡単にはいきません。両側の出口を塞がれてしまったのです。きちんと棚際に寄って商品を見てほしいというのが願いではありますが、せめて交差点にだけは停止しないでいただきたいです。混雑していなくても、交差点における長時間の停止は禁物でしょう。

 

まとめ

是非、混雑しているスーパーで買い物をするときは交通マナーを守り、みんなが気持ちよく買い物ができるように協力しましょう。

 

 

 

 

【善意を疑え】’善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない’という現実

ニーチェの言葉には共感するとともに、「悩み」を一瞬で解決してしまう驚異の力を持つ。

 

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善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない

 

❝善人❞というのは❝善い❞ことをしているという自覚をもって、❝善意❞を振りまく人のことを言う。

 

したがって、誰もその❝善意❞からの行為を咎めることを許されない。

 

もしくは、勇気を持ってその行為を非難したとしても、❝善人❞は自分の行為を反省することができない。なぜなら、❝善意❞からの行為であるからだ。誰しも、咎められるために❝善い❞ことをしようなどとは思っていない。逆に、❝善い❞ことをしたら、褒められる、あるいは感謝されると考えるのが普通である。

 

❝善い❞ことをしたら、褒められる、あるいは感謝されるべきである

 

という考え方は、是非辞めてほしいと思う。

 

 

 

❝善意❞の押し付けという非常に厄介な❝害悪❞は教育現場においてよく目立つ。

 

例えば、「体罰」。

 

もちろん❝悪意❞のある体罰は存在する。いけないと分かっていながらも暴力を振るう。しかし、このような場合は、周囲も非難しやすいし、❝悪意❞を持っているのだから体罰を加えた側も認めることができる。

 

しかし、上のような❝悪意❞を持った体罰以上に、❝善意❞を持った体罰の存在の方が非常に厄介な問題なのである。

 

自分は体罰を受けて強くなった。これまでも体罰によって強いチームをつくってきた。だから、体罰による教育は間違っていない。

(外部リンクですが体罰の依存に関する記事を張り付けておきます。)

ryukyushimpo.jp

 

誤った解釈であるが、それを真実だと思い、体罰を肯定することで、❝善意❞からの体罰が生まれる。

 

 

ここまで散々❝善意❞から生じる害悪について書いてきたが、私は決して❝善意❞を否定しているというわけではない。

 

❝善❞に関する基準は人それぞれあると思う。

 

個々の❝善❞の基準を否定するということは私はできないし、その基準に従って是非❝善い❞行為をしてほしいと思う。

 

しかし、これだけは分かってほしい。

 

自分自身の❝善意❞を疑えるのは自分だけということである。

 

自身の❝善意❞を疑うことが、厄介な❝害悪❞を社会からなくす唯一の方法なのである。

 

どうか、厄介な❝害悪❞の消滅に協力してほしいと思う。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【押し売り】演じる勇気で大きな損失を避ける

やられました(涙)。

 

知らない地で買い物をしたとき、押し売りに負けてて要らないもの(しかも高いもの)を買ってしまったを言う経験はありませんか?

 

*目次*

 

はじめに

 

私は先日、韓国の明洞という町で爆買いをしに行きました。目的は、欲しいメイク道具や服を買うこととチーズタッカルビサムゲタン、可愛いパフェなど美味しい食べ物を食べることでした。

 

しかし、明洞はすごい(ヤバいのほうが適当かもしれません)です。

 

めちゃくちゃ話しかけてきます。

 

そして、うまく買うように誘導してきます。

 

こんな感じの流れで買わされます

 

店:コンシーラーとこの商品がこの店のおすすめだよ~

 私:コンシーラー見てみようかな(コンシーラーの所に移動)

 店:手、出して

 私:(手を出す)

 店:(ちょんちょん、ちょんちょん)こっちがいいね!はい(渡す)

 私:(コンシーラー渡される)えっ……。

 店:ちょっと来て(高いおすすめの商品のほうに誘導)

 私:(ついていく)

 店:つけてみて

 私:(ぬりぬり)

 店:これはね、夜つけるの。しわが伸びてとてもいいの。今、これ2本買ったらこれとこれ(洗顔とパック)もつけるよ。それで、これはシリコンので塗らないと……(長い)。

 私:いくらですか?

 店:2本で1万円、ちょっと高いけど、おすすめ。だけど今マイナス3000ひいて7千円だよ。あとこれもこれもつけるよ。

 私:……いいです。(コンシーラー買いにレジに移動)

 店:(レジの前でもひたすらさっきの用品を押す、さらに社長らしい人が現れる)

 社:ニホンゴハナセナイ。(といった後、ひたすら私の肌が荒れていると言ってくる、通訳は店員)

 私:じゃあ一本ください。(あきらめ)

 店:2本じゃないと効果でないよ、2本で二か月だよ。

 私:1本でいいです。

 店、社:(不機嫌な顔)

 店:分かった。

 私:(お金渡す)

 店:パスポートある?

 私:(渡す、たぶん免税された?)

 

終了。

 

ちなみに店員は日本語のうまい韓国人で、とても早口で言ってきます(言いなれてる感じです)。レシートを見ると「免税後返品交換できません」の文字。結局5000円無駄に使ってしまいました。商品自体は悪いものではないみたいです。しかし、押し売りされて買ったという思い出が要らないです。正直お金を払っていでも手放したいくらいです(思い出がマイナスすぎて……)

 

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 あえて、店の名前も見せますね(笑)。金色の細いほうが押し売りされたものです。レシートの右上には「免税後返品交換できません」の文字。

 

こうすればよかった(対策)

 

まあ、ここまでは店に対する愚痴みたいな感じです(笑)。

 

大事なのは、

どうすれば5000円という大金を失わずに済んだ

を考えることです。

 

考えた結果2つの対策方法が見つかりました。

 

1つ目は、事前の情報収集です。

私が押し売りされた店は、押し売りやクレジットカードの詐欺で有名だとネットで調べたらすぐにわかりました。つまり、事前に避けた方がいい店を調べておけばよかったのです。事前の情報収集を怠ったための損失だったのです。

 

2つ目は、強気を演じる勇気です。

強気の女性を一瞬だけ演じればよかったのです。コンシーラーを買って、あとは要らないとはっきり、かつちょっと切れ気味な感じで言ってしまえばよかったのです。旅行先の店員(しかも海外)と仲が悪くなったところで、私にとってのデメリットなどありません。また、向こうの店員も多くの客に不機嫌な態度をとられていることは目に見えますから、そのうちの一人となったところで大きなデメリットはないのです。つまり、デメリットが生じるのは私が5000円を払ったときだけなのです。

 

まとめ

みなさんは、事前の情報収集強気を演じる勇気を持って旅行を楽しんでほしいです。もし、事前の情報収集が万全で、強気を演じる勇気もばっちりあるという方は、この記事で紹介したようなお店に入ってみるのも旅の楽しみ方のひとつかもしれません(おすすめしているわけではないですよ(笑))。また、今回は押し売りの店の紹介でしたが、あまり話しかけられない店もありました(エチュー〇ハウスやオリー〇ヤんなど)。話しかけてくる店は出る、話しかけられない店で買うというのが個人的にはいいと思いました。みなさんはどうか、押し売りに負けないでください。押し売りに負けることほど、大きいなデメリットが生じることはありませんので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お世辞は必要か【本音】

 

自分が納得していない髪型に対して「いいね!」といわれたり、あんまり可愛くないなと思う持ち物に対して「可愛い」といわれたりしてなんとも言えない気持ちになったことはないだろうか。

 

人は価値観が同じ人を好む傾向にあり、お世辞を言うのは好かれたいという気持ちからなのであろう。確かに、好かれる技術を身に着けることを全否定するつもりはない。

 

しかし、

お世辞を言うことは、あまりにもデメリットが多い。

 

例えばである。

自分が似合っていないと思っているその髪型を、お世辞で褒められたとする。すると、お世辞を言われた側は自分とは価値観が合わないと判断する。この時点で、デメリットの発生である。さらに、そのお世辞に対して「ありがとう」と返してしまったなら、お世辞を言った側も、相手と価値観があっていないと感じる。つまり、本当は同じ価値観であるはずなのに、互いに価値観が合わないと思ってしまうのである。また、もしもお世辞を言われた側が正直に似合ってないと思うと伝えたなら、お世辞を言った側はお世辞を言うメリットである「好かれる(価値観があっていると思わせる)」という目的さえも果たせず、お世辞を言う労力は一瞬で無駄なものとなってしまい後悔の念に襲われるであろう。

 

お世辞を言って、自分の嘘の価値観を相手に植え付けるくらいなら、自分の価値観を主張して嫌われる方がいい(おそらく嫌われるということはない)。

 

自分の価値観と他者の価値観が衝突したときに、本当の自分の価値観というものを知ることができる。もしかしたら、自分の価値観が変化するかもしれないし、相手の価値観を変えてしまうことがあるかもしれない。とてもいいことである。もっともっと価値観を衝突させて、自分というものを知っていくべきだ。

 

そのような点において、私はネット炎上(意見に関する炎上)に関して肯定的である。ネットでコメントする側にメリットがあるかは別として、炎上してしまった側は、他者との価値観の大きな違いに気が付くことができる。その結果、改めて自分の価値観について考え直すという機会が与えられる。炎上した側のメリットは非常に大きい。

 

 

だが、それでも褒められるとうれしいというのは確かである。

 

相手の髪型が似合ってないなと感じたら、お世辞を言うのではなく、別の観点から見て「似合っている」可能性はないか考え、それを伝えたうえで自分の好みではないことを主張するとよいかもしれない。

 

決して、唐突に

 

「ダサい…」

 

などと言ってはいけない

 

自分の価値観さえきちんと伝わればよく、わざわざ自分から嫌われに行くメリットはない(今後の関係性にもよるが)。

 

お世辞を言うことを避け、うまく自分の価値観を伝える技能を身に着けるべきであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”誤審”という魅力

”誤審”は人間のミスによるものである。

 

柔道の大会において、審判の技量不足による”誤審”が問題となり、その審判は2ヵ月の資格停止と降格の処分が下された。

 

私は、「柔道」というスポーツ(武道)を知らないので、安易にこの処分が適正か否か判断することはできないが、議論の余地があると言わざるを得ない。

 

 もしも、これが野球だったら一体どうなるだろうか。

 

ピッチャーの投げた球が明らかにストライクであるにもかかわらず、球審はボールの判定を下した。

 

 よくある事例ではあるが、審判としての仕事がなくなるという事例は聞いたことがない。それどころか、誤審が多い審判はその故に有名になるということすらある。(あくまでプロ野球において)

 

スポーツにおいて”誤審”が否定される理由として「卓越性が曖昧になる(勝敗がはっきりしない)」ということが挙げられる。

 

しかし、”誤審”が生じた場合の人々の反応を見てみると、「卓越性が曖昧になった」と言って怒る人は少なく感じる。それよりかは、その”誤審”が生じたワンプレーに対して、様々な見解を述べるものの方が多い。なぜそのような判定に至ったのだろうか、あの角度から入ってきたら自分でもボールと言ってしまうかもしれない、野球に詳しくないからよくわからないけど審判が間違えたっぽい……等々。

 

”誤審”から様々な見解が生まれる。つまり、”誤審”は少なからず人々の感情を動かすのだ

 

現在、ホームベース上におけるクロスプレーについてはビデオ判定が認められるようになった。それにつづいて、他の場面においてもビデオ判定を用いるべきではないかという意見が少なからずある。

 

しかし、私はビデオ判定反対派である。

 

”誤審”は人々の感情を動かす、スポーツの魅力の一つである。

ゼロに限りなく近づいてほしいと願いながらも、ゼロになることはあってはならない。

 

今回の、柔道における2ヵ月の資格停止や降格処分は”誤審”をゼロに近づけるという意味では正しい判断であると言えるかもしれない。

 

しかし、間違えても誤審を”ゼロ”にしてしまおうという決断には至ってほしくない。

 

”誤審”はスポーツの魅力である。

 

 私は、そう考える。

 

 

以上。

 

*”誤審”などで卓越性が曖昧になった試合を「失敗した試合」と呼ぶこともあるが、私は「失敗した試合」に否定的ではない。