【人生は解釈】思考が暴走しがちな一般大学生。

”思考”をアウトプットせずにはいられない大学生によるブログです。

私は、「はじめは誰でもそんなもんだよ」が信用できない

はじめは誰でもそんなもんだよ、何かを始めたばかりの人がその業界で成功した人によく言われる言葉です。

 

その言葉をあなたはどれくらい信じていますか?

 

そうなのか!みんなこんなもんなのか、と思える人もいるかもしれません。

しかし、多くの人は「本当に大丈夫かなぁ…」と不安になるのではないでしょうか。

 

「はじめは誰でもそんなもんだよ」と言われて不安になる心理について分析してみました。

 

目次 

 

1.結局伸びなかった

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頑張ったけど結局伸びなかった。そういう経験は誰しもあるのではないでしょうか。私は中学・高校とソフトボールをしていました。中学の時、人一倍素振りをしていた私を見て、コーチはわたしに「絶対いいバッターになる」と褒めてくださいました。しかし、中学の引退試合になっても外野の頭を超える打球は打てませんでした。私は、素振りを頑張れば外野の頭を超える打球が打てるようになるのだと思っていたのです(冷静に考えれば量だけではダメだと分かるのですが、褒められると自分は正しいことをしていると思い込むものです)。「はじめは誰でもそんなもんだよ」と言われて続けて、結局理想の場所まで行きつけなかった経験があるとだんだんとその言葉が信じられなくなっていきます。

 

2.伸びたけれど時間がかかった

頑張った結果理想の地点まで届いた。一見そのような人たちは次何か始めるにしても、自分の伸びしろを信じられるような気がします。しかし、そうでないことも多いようです。それは、結果が出るまでに多大な時間を要したり、大きな苦労をしてきた場合です。そのような人たちは、次何か始めようとしても、時間がかかることや苦労しなければならないことを考えると、それを始めるのに少し抵抗を覚えるのです。そんなときに「はじめは誰でもそんなもんだよ」と声をかけられても、納得はできるがやろうとは思えないのです。達成し得る能力があるにも関わらず非常にもったいないです。

 

3.伸びた先が行き止まりだった

私は、中学の時ピッチャーをやっていました。毎日試行錯誤しながらピッチングをしていた結果、スピードもコントロールもよくなり、県大会でベスト4に入れるくらいの実力をつけることができました。それは、自分にとって満足のいく結果で理想の状態と言えました。しかし、高校に入って、人数の関係でピッチャー以外のポジションを守ることになりました。その時に気が付いたことは、これまで試行錯誤して身につけたスピードやコントロールは発揮する場所はなくなり全く意味をなさないものになったということでした。そのようなことが、スポーツ以外の場所でも起きうるのです。あんなに一生懸命資格の勉強をしたけれど、結局全然違う職に就いたなど、、、。

 結局成長したはいいものの、それが発揮されることがなかったり発揮できる場所を半強制的に奪われてしまうということがあります。しかし、もしかしたらそれはそこまで気にする必要はないかもしれません。あの、リンゴマークで有名なapple社のスティーブ・ジョブズ氏はこう言いました、「connecting the dots(点と点をつなぐ)」。つまり、試行錯誤してピッチングをしてきたことも、職に関係ない資格取得も何かしらにつながるということです。確かに、ピッチャーをしていたことでその心理状況が読めた結果、打率が上がったなどがあったかもしれません(点と点が繋がる自覚はあまりないものなのでしょう)。たとえ、成長した先が行き止まりだったとしても、そこまでの過程で学んだ知識や経験は決して無駄にならないのです。自覚は無いとしても、それらはちゃんと自分だけの財産になっているはずなのです。

 

4.頂上を見ながらふもとを登ることを楽しむ

しかし、やっぱりそこまで言われても「はじめはそんなもの」が信じられないという人もいるはずです。では、もういっそのこと結果に期待するのはやめてしまいましょう(笑)。でも、決してあきらめるということではありません。別に結果が出なかったからといって損をすることはないと割り切って、前に進み続けるのです。例えば、大きな山を登り始めるとき人は頂上を目指して進みます(同じ高さを歩き続ける人はかなりの変態です←いたらすいません)。そこで、もし頂上に行きつけなかったとしても、その途中途中の風景や登る過程を楽しめればそれでよいのではないでしょうか。実は、その過程が楽しめるということ自体が登り続けた証にもなるのです。楽しみ続けてたどり着いた場所が頂上であったならば、それは喜ばしいことです。ですので、はじめから頂上にたどり着くことに期待せず、登ること自体を楽しめばよいのです。

 

5.一喜冷静一憂冷静

説明した通り、進み続けること・登り続けることは大事です。しかしその過程で、目の前の成功や失敗に一喜一憂して終わっていてはいけません。一喜するのはよいことです。一憂するのもよいことなのです。人の感情に無駄なことは一切ありません。しかしそのたびに冷静になり、なぜ成功したのかやなぜ失敗したのかを考えることが次につながってくるのです。そのために、たまには客観的に自分の行動を見てみる必要があります。本当に自分は前に向かって進んでいるのか。本当に自分は登っているのか。もしかしたら、自分はランニングマシンの上で足を動かしているだけかもしれない、自分は下りのエスカレーターを一生懸命登っているだけなのかもしれない。そうやって、たまに自分の行動を少しだけ疑うことは必要なのではないでしょうか。

 

6.まとめ

 まず、私が「はじめは誰でもそんなもんだよ」が信じられないと思ったきっかけは、このブログです。いま執筆している最中にも、本当にこのブログが誰かに読まれることがあるのだろうかと疑いの念を抱いているわけです。おそらく、このブログにスターが付いた日には飛び上がるくらい喜び、PV数がゼロだった場合にはパソコンを半径1メートル以内に近づけたくないくらい哀しむことでしょう。しかし、私はどちらにせよ冷静になる必要があるのです。客観的に自分のブログ(あるいは他の人のブログ)をみて試行錯誤していけばいいのです。そして、いつか誰かに「はじめは誰でもそんなもんだよ」と言ってみたいのです。

 

 

以上、私は「はじめは誰でもそんなもんだよ」が信用できないでした。