スチューデント・アパシーに対してニーチェは何というだろうか
なんで自分は大学に通っているのか。
高校生の時に将来を鮮明にイメージしていたという人であればそういう悩みもなく毎日資格取得や単位を取るための勉強に追われているかもしれない。
しかし、この世界にはスチューデント・アパシーというものに悩む(スチューデント・アパシーの人は悩まないという説もあるが私はこの説に否定的である)学生が存在する。
ネットで簡単に調べた感じだと、進路が明確でなく目標がない・アイデンティティが確立していない・本業である学業に積極的ではなくなる・バイトやサークル活動には積極的・昼夜逆転などの特徴があるといわれている。また、学業に積極的でなくなるために単位が取れず、留年や退学に向かう学生もいるという。
では、なぜこのような事態(スチューデント・アパシー)が生じるのであろうか。
それは、
善悪の判断ができなくなる
からであると私は考える。
スチューデント・アパシーに陥った学生は、大学に入るまで「優等生」であった人が多いようだ。
優等生、つまり先生や親にいい子だとよく褒められる子である。しかし、これが非常に危険だ。人は褒められると自分が正しいことをしていると思う。勉強をしていれば褒められるし、一生懸命スポーツに打ち込むと褒められる。
私が大学生になって思うのは、正しいと間違いは表裏一体であるということである。一生懸命勉強している時間は確かに知識が増えるという意味で正しい行為である。一方で、その間勉強をせずに友達と遊んでいた人たちはコミュニケーション能力の向上という観点から決して間違ったことをしているとは言えない。スポーツに打ち込むことも同じで、一生懸命素振りをすることは目標を達成するために努力を積み重ねる能力を培うという意味では正しいし、スポーツに打ち込まずに本ばかり読むことも知識を増やすという意味で間違いではない。
何が言いたいかというと、大学生になると上のような事実に気が付いてしまうのである。何を選んでも正しいし、何を選んでも間違いという中で、何を基準に判断を下せばよいのかわからなくなる。つまり、善悪の判断ができなくなってしまうのである。
周りの大人の善悪の基準があてにならない。だから、これまで先生や親に委ねてきた行動の判断を自分で行わなければならない。そうなると、頭の中がこれまで経験したことないほど混乱し、その結果思考が停止してしまうのである。それがアパシー(無気力)状態である。
というのが最近までの私の状況である(笑)。
しかし、つい先日こんな言葉に出会って生活が少し変化した。
悪とは何か?
~弱さから生じるすべてのものである。
これは、哲学者で有名なフリードリヒ・ニーチェの言葉である。
スチューデント・アパシーにとって弱さとは、感情のままに過ごし、自分の行動に関する善悪の判断を怠ることであると私は解釈している。
大学に通う意義が見いだせないから授業をさぼる。本当にそうであろうか?自分の行動に関する判断ができないから、弱さから生じる感情(朝ねむい、移動がめんどくさい、人と会うのが億劫だ)のまま過ごしているだけではないだろうか?
弱さから生じるものはすべてが”悪”である。
善悪の判断を下すこと=正しい
善悪の判断を怠ること=間違い
そう自分に言い聞かせ、善悪の判断を怠らないようにしていこうと思う。
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