【人生は解釈】思考が暴走しがちな一般大学生。

”思考”をアウトプットせずにはいられない大学生によるブログです。

どうして哲学的思考の人ほど生きずらいのか【いただきます=7万3000円】

哲学的思考を持つ人は、

 

常に考え悩み、共感してもらえない孤独と戦っています。

 

たとえば、あなたは食事前の「いただきます」が大切か否かについて問われた時に、どのように考えるでしょうか。

 

「つくってくれた人、生き物に感謝をするのは当たり前だ!」ってゆう人は結構人生を楽しんでいるはずです(笑)。

 

その一方で、いやその「いただきます」には約3秒の時間を使いそれを一日3回……と考えてしまう人がいるのです(私がそうなのですからたくさんいるはずです)。

 

目次

 

 

1.生きずらい理由その1〔宗教的教育〕

日本の教育はある種の宗教なのではないかというような教育がされています。小学生のとき(あるい幼稚園保育園のとき)から、先生の言うことを聞くように教育されます。それに背けば、叱責という罰さえ受けます。そして、その先生絶対教育は義務教育が終了されるまで確実に行われ続けます。後から考えれば、案外先生によくわからない教育をされていたなという人もいるのではないでしょうか。また、中学生くらいになると先輩後輩関係が確立し、それは社会人になっても続いていきます。ここで、思うのは「あれ、人間って平等なはずじゃね?」ってことです。確かに、知識の浅い子供が無知のままなんでも行動するのは危険です。しかし、大人になって1つ年が違うからといって正直そこまでの違いは感じません。むしろ、年上の人でもあまりにも幼稚な考えを持っている人さえいます。しかし、そのような人にさえ敬語を使う必要を迫られるのです。しかも、「これなに?」が「これは何ですか?」と少々語尾が変わることによって何が変化するというのでしょうか。もちろん、実際に後輩から「これなに?」なんて言われたら私でも怒りますが、何がどう悪いのか納得できるように説明しろと言われたなら、それは私を非常に悩ませることになるでしょう。

 私たちは、小さいころから先生は絶対だという教育や先輩は絶対だというような宗教的教育を当たり前のように受けてきているのです。

 

2.生きずらい理由その2〔社会は当たり前だらけ〕

哲学的思考の人は、当たり前に苦しみます。はじめに例として挙げたように「いただきます」という当たり前の行動でさえ考え、悩むのです。だって、

 

3(秒)×3(一日)×365(一年)×100(一生)=328,500(秒)

                        =91.25(時間)

 

なのです。これだけの時間があれば、時給800円のアルバイトでも7万3000円の価値になるのです。一生の「いただきます」と引き換えに7万3000円を失っているわけです。もしも、社会の当たり前をかき集めたとしたら、どれくらいの金額(価値)になるのか気になるものです。

 

3.生きずらい理由その3〔時間が足りない〕

周りの人が「いただきます」を3秒で終わらせる中、哲学的思考の人はそのたびに10分くらい時間がとられます。人によっては何時間も考えるかもしれません。しかし、その間に一般人(哲学的思考が薄い人)は、資格の勉強をしたり上司と飲みに行ったり仕事をしたりとゆうようなことにその時間を使っているわけです。正直、「いただきます」が必要か否かの答えが出たところで世間から評価が得られることは期待できませんし、日本の慣習から「いただきます」がなくなることはないでしょう。つまり、周りから見るとただの時間の無駄使いなのです。そして、その時間の無駄使い(100%無駄なわけではありません)を自覚していながら、その思考をやめられない自分との葛藤にさらに苦しむことになるのです。

 

4.生きずらい理由その4〔生きる意味が分からなくなる〕

誰しも生きる意味について考えたことはあるはずです。しかし、一般人はある程度のところで自分なりの答えを出し、また現実世界に目をむけ生きていくのです。しかし、哲学的思考を持つと答えのない「生きる意味」を探し続けることになります。「生きる意味」は、自分の人生に直接影響を与える問いでありますから、考えるとなると非常に深く考えることになります。このとき人は「アイデンティティが拡散している」状態と言えます。哲学的思考を持つほど自身のアイデンティティがなかなか確立しないために長い間苦しみ続けるのです。そして、死ぬまで生きる意味を見出せないのではないかと強い不安を抱くのです。

 

5.哲学的思考も無駄なわけではない

私は大学生になり「スポーツ哲学」という領域があることを知ります。高校二年生の時から「スポーツってそもそも何だろう?」と考えていた私にとっては、「スポーツ哲学」という領域を知っただけで半分答えが出たようなものでした。答えがないことを知ったのですから。運動生理学や運動指導というようないかにも役に立つと思われる研究と比べれば、「スポーツ哲学」という考えるだけの分野は一見無駄なように思われます。しかし、そのようなことはありません。例えば、「ドーピングの是非」について考えることは、オリンピックのルールを変えるようなことになるかもしれないのです(現段階ではその可能性は低いと思われますが)。ドーピングが認められることがないにしても、野球でホームクロスプレイの「リプレイ検証」が承諾されるなど細かいルールの変容はあります。時代とともにスポーツも変化しているのです。しかし、この「リプレイ検証」がスポーツの本質を壊すなどの意見もあります。このような哲学的思考をする人がいることにより、スポーツの「よさ」を守ることができるのです。つまり、哲学的思考の人は本当に大切な何か(非常に曖昧ではありますが)を守る可能性があるのです。

 

6.思考停止のすゝめ

哲学的思考を持つ人は、ある程度のところで思考を停止することをおすすめいたします。おそらく「それができれば苦労しないよ」って人がほとんどだと思いますが、それでも強制的に思考を停止させるよう努める必要があるのです。なぜなら、この世界で起こることのほとんどは人間の思考でどうにかなるものではないからです。いつ、でっかい隕石が地球にぶつかり自転が止まるかすら想像できないのです。人間の思考に限界があることを認めて、自らの思考を止めるのです。しかし、ずっと止めていてはそれもいけません。ここぞというときに、その哲学的思考を発揮しなければいけません。それは「いただきます」のようなことではなく、どちらかというと「リプレイ検証」のようなことがよいでしょう(どちらに発揮しても無駄ということはありません)。ここの判断はあなた個人にまかされます。是非、哲学的思考をうまくコントロールして、よい方向にそれを発揮してほしいです。

 

 

以上、 どうして哲学的思考の人ほど生きずらいのか【いただきます=7万3000円】でした。

 

 

 

 

 

私は、「はじめは誰でもそんなもんだよ」が信用できない

はじめは誰でもそんなもんだよ、何かを始めたばかりの人がその業界で成功した人によく言われる言葉です。

 

その言葉をあなたはどれくらい信じていますか?

 

そうなのか!みんなこんなもんなのか、と思える人もいるかもしれません。

しかし、多くの人は「本当に大丈夫かなぁ…」と不安になるのではないでしょうか。

 

「はじめは誰でもそんなもんだよ」と言われて不安になる心理について分析してみました。

 

目次 

 

1.結局伸びなかった

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頑張ったけど結局伸びなかった。そういう経験は誰しもあるのではないでしょうか。私は中学・高校とソフトボールをしていました。中学の時、人一倍素振りをしていた私を見て、コーチはわたしに「絶対いいバッターになる」と褒めてくださいました。しかし、中学の引退試合になっても外野の頭を超える打球は打てませんでした。私は、素振りを頑張れば外野の頭を超える打球が打てるようになるのだと思っていたのです(冷静に考えれば量だけではダメだと分かるのですが、褒められると自分は正しいことをしていると思い込むものです)。「はじめは誰でもそんなもんだよ」と言われて続けて、結局理想の場所まで行きつけなかった経験があるとだんだんとその言葉が信じられなくなっていきます。

 

2.伸びたけれど時間がかかった

頑張った結果理想の地点まで届いた。一見そのような人たちは次何か始めるにしても、自分の伸びしろを信じられるような気がします。しかし、そうでないことも多いようです。それは、結果が出るまでに多大な時間を要したり、大きな苦労をしてきた場合です。そのような人たちは、次何か始めようとしても、時間がかかることや苦労しなければならないことを考えると、それを始めるのに少し抵抗を覚えるのです。そんなときに「はじめは誰でもそんなもんだよ」と声をかけられても、納得はできるがやろうとは思えないのです。達成し得る能力があるにも関わらず非常にもったいないです。

 

3.伸びた先が行き止まりだった

私は、中学の時ピッチャーをやっていました。毎日試行錯誤しながらピッチングをしていた結果、スピードもコントロールもよくなり、県大会でベスト4に入れるくらいの実力をつけることができました。それは、自分にとって満足のいく結果で理想の状態と言えました。しかし、高校に入って、人数の関係でピッチャー以外のポジションを守ることになりました。その時に気が付いたことは、これまで試行錯誤して身につけたスピードやコントロールは発揮する場所はなくなり全く意味をなさないものになったということでした。そのようなことが、スポーツ以外の場所でも起きうるのです。あんなに一生懸命資格の勉強をしたけれど、結局全然違う職に就いたなど、、、。

 結局成長したはいいものの、それが発揮されることがなかったり発揮できる場所を半強制的に奪われてしまうということがあります。しかし、もしかしたらそれはそこまで気にする必要はないかもしれません。あの、リンゴマークで有名なapple社のスティーブ・ジョブズ氏はこう言いました、「connecting the dots(点と点をつなぐ)」。つまり、試行錯誤してピッチングをしてきたことも、職に関係ない資格取得も何かしらにつながるということです。確かに、ピッチャーをしていたことでその心理状況が読めた結果、打率が上がったなどがあったかもしれません(点と点が繋がる自覚はあまりないものなのでしょう)。たとえ、成長した先が行き止まりだったとしても、そこまでの過程で学んだ知識や経験は決して無駄にならないのです。自覚は無いとしても、それらはちゃんと自分だけの財産になっているはずなのです。

 

4.頂上を見ながらふもとを登ることを楽しむ

しかし、やっぱりそこまで言われても「はじめはそんなもの」が信じられないという人もいるはずです。では、もういっそのこと結果に期待するのはやめてしまいましょう(笑)。でも、決してあきらめるということではありません。別に結果が出なかったからといって損をすることはないと割り切って、前に進み続けるのです。例えば、大きな山を登り始めるとき人は頂上を目指して進みます(同じ高さを歩き続ける人はかなりの変態です←いたらすいません)。そこで、もし頂上に行きつけなかったとしても、その途中途中の風景や登る過程を楽しめればそれでよいのではないでしょうか。実は、その過程が楽しめるということ自体が登り続けた証にもなるのです。楽しみ続けてたどり着いた場所が頂上であったならば、それは喜ばしいことです。ですので、はじめから頂上にたどり着くことに期待せず、登ること自体を楽しめばよいのです。

 

5.一喜冷静一憂冷静

説明した通り、進み続けること・登り続けることは大事です。しかしその過程で、目の前の成功や失敗に一喜一憂して終わっていてはいけません。一喜するのはよいことです。一憂するのもよいことなのです。人の感情に無駄なことは一切ありません。しかしそのたびに冷静になり、なぜ成功したのかやなぜ失敗したのかを考えることが次につながってくるのです。そのために、たまには客観的に自分の行動を見てみる必要があります。本当に自分は前に向かって進んでいるのか。本当に自分は登っているのか。もしかしたら、自分はランニングマシンの上で足を動かしているだけかもしれない、自分は下りのエスカレーターを一生懸命登っているだけなのかもしれない。そうやって、たまに自分の行動を少しだけ疑うことは必要なのではないでしょうか。

 

6.まとめ

 まず、私が「はじめは誰でもそんなもんだよ」が信じられないと思ったきっかけは、このブログです。いま執筆している最中にも、本当にこのブログが誰かに読まれることがあるのだろうかと疑いの念を抱いているわけです。おそらく、このブログにスターが付いた日には飛び上がるくらい喜び、PV数がゼロだった場合にはパソコンを半径1メートル以内に近づけたくないくらい哀しむことでしょう。しかし、私はどちらにせよ冷静になる必要があるのです。客観的に自分のブログ(あるいは他の人のブログ)をみて試行錯誤していけばいいのです。そして、いつか誰かに「はじめは誰でもそんなもんだよ」と言ってみたいのです。

 

 

以上、私は「はじめは誰でもそんなもんだよ」が信用できないでした。

 

暇な大学生が海に沈む夕陽を見て美しいと感じた心理を分析して分かった5つのこと

夕陽は本当に美しいです。

 

当たり前な話なのですが、私は青い空を見るときよりもオレンジ色の夕陽を見るときの方がうっとりしてしまいます。

 

そんな、夕陽の魅力とはいったい何なのでしょうか?

 

目次

 

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 1.大きなキャンパスに描かれるグラデーション

お昼にも夜にも見ることができない、夕方だけにオレンジから紺色の鮮やかなグラデーションをみることができます。グラデーションは、絵画を描くときに手法として用いたり、髪色をグラデーションにしてみたりと様々な場面で用いられることから、グラデーションが人の感覚に訴える影響は大きいと考えられます。そんなグラデーションが、自然という大きなキャンパスの中に描かれるわけですから、美しいと感じないはずがないのです。

 

2.暖色系の光

人間は比較的暖色の場所が落ち着くと言われています。たとえば、白熱灯が敷き詰められたショッピングモールよりも、ホテルのオレンジ色の光が落ち着きます。つまり、暖色であるオレンジ色の夕陽に包まれると自然にこころが落ち着くのです。

 

3.逆光によるコントラストの強調

夕陽にカメラを向けると必ず逆光になる(当たり前ですが…)ように、人の眼にも多くの光が入ってきます。そして、夕陽以外のものは暗く見えます。つまり、夕陽を眺めている間は、夕陽以外のものが眼に映らないのです。夕陽を見ることで、それ以外のものが見えなくなり、現実を一時だけ忘れることができるのです。

 

4.一日の終わり

多くの人は昼間に活動します。朝から働いたり勉強したり忙しくしていると、夕方になるころには心身ともに疲れ切っているものです。そして、この忙しさは永遠に続くのではないかと思うとそれだけで余計疲れてしまします。そこで、夕陽を見ることで一日の終わりを感じることができるのです。ですので、毎日夕陽をみて「今日も一日頑張った」と自分をほめてあげるとよいかもしれません。

 

5.「美しい」は無知の知の領域

夕陽が美しい理由なんて、正直誰も「知らない」のです。なぜなら、人間が持つ感情というものは謎に包まれていて、地球から離れた太陽と宇宙の色がつくりだすグラデーションなんて言ったらもう、私たち(天文学者を除く一般人)には分かり得ない領域なのです。もしかしたら、夕陽が美しいと感じる理由を分析する必要などないのかもしれません。ただただ、夕陽を見て「ああ、美しい」とみとれるだけでいいのではないかしょうか。

 

 

以上、暇な大学生が海に沈む夕日を見て美しいと感じた心理を分析して分かった5つのことでした。

 

www.specialkimagurelife.com

 

 

めんどくさがりやの私が【めんどくさいとは何か】真剣に考えようとした結果やっぱりめんどくさくなった話

 

ああ、めんどくさい

 

って毎日のようにつぶやいていませんか?

 

いったいめんどくさいとは、どのような感情なのでしょうか???

 

目次

 

 

1.面倒臭いの意味

面倒臭いとは、Weblio辞書によると「手数がかかってわずらわしい。大変やっかいだ。」という意味があるようです。しかし、手数がかかってやっかいなことも、時間をかけて手順を踏めば必ずできてしまうはずです。それにも関わらず、人がその面倒臭いことをしようとしないのに原因があるはずなのです。

 

2.日常生活で私が面倒くさいと感じること12個

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 あ、字が汚いのはすいません。大学生女子の字とは思えませんが、きれいな字を書くのもめんどくさいのです。許してください(笑)。

 

1.歯磨き

2.食器洗い

3.ゴミ出し

4.カーテンを開ける

5.洗たくたたみ

6.忘れ物をとりに返る

7.サイクリングの準備

8.料理

9.字をきれいに書く

10.レポート

11.朝起きる

12.使ったものはもとにもどす

 

3.「めんどくさい」は本当に面倒臭い行動を伴うのか

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 こんな感じで、日常生活でめんどくさいと思う行動が、実際にはどのような行動からなるものなのか考え、それにかかるおよその時間を書き出してみました。

途中で面倒臭いと感じましたので、上半分は省略です。

 

4.「めんどくさい」と所要時間

めんどくさいと感じたとき、多くの人はその行動に時間がかかるからと自分に言い聞かせてはいないでしょうか。それは、どうやら違うみたいです。例えば、カーテンを開ける(こんなのめんどくさくないって人もいると思いますが、私の場合はめんどくさくて左右にシャーッ!シャーッ!ってテキトウにやって終わらせてしまうのです)のなんかは20秒もあればできてしまいます。20秒を日常生活で確保できない人は、毎朝寝坊する人くらいでしょう。また、洗濯たたみなんかも10分あればできるはずなのです。寝る前にたたんでしまえばそこまで時間をとられている感じはしないでしょう。他も同じです。めんどくさいを時間がないからという言い訳で済ませて本当によいのでしょうか。

 

5.無駄なエネルギー消費を抑える

めんどくさいと感じることは必ずエネルギーを消費する行動です。しかし、激しい運動はめんどくさくなくても、立つという動作がめんどくさいと感じることを考えれば、おそらく身体活動のエネルギー消費だけが原因ではないことが考えられます。身体を動かす以外にエネルギーを多く消費するのは脳です。まず何をして、次に何をして、その次は……と考えることに非常に多くのエネルギーを消費します。脳のエネルギー消費を避けるために、本能的にめんどくさいという感情が働くことが考えられます。

 

6.行動に意味を見出せるか

もしも、非常にのどが渇いていて今にも干からびそうって時に、冷蔵庫にお茶を取りに行くのをめんどくさいと思いますか?おそらく、めんどくさいと思う前に冷蔵庫を開けてお茶を飲んでいるはずです。つまり、本能的にその行動をしなければ「やばい!」ってゆう状況になれば、なんでもしてしまうものなのです。その点は、鍛冶場の馬鹿力というものと似ている部分があります。普段は、自分を守るためにも省エネで過ごし、いざというときの為にエネルギーを蓄えているのです。もしかしたら、めんどくさがりやの人ほど「やばい!」って時に放出されるエネルギーの量ははかり知れないものなのかもしれません。 

 

7.字を書くのがめんどくさい

私は、上の画像のように途中で(行動を思い出すのもめんどくさいの一つですがおいておきます)を書くのがめんどくさくなり、書くのをやめてしまいました。普段、大学の講義を受けていても、書き写さなければいけないことなどがあると非常にめんどくさく感じます。別に自分がみるノートなので汚くてもいいのですが、結構真面目に講義を受けている(自分で言うのもなんですが)私は、たまに「ノートみせて~」と言われるわけなのです。そんなときだいたい私は、絶対他の人のノート見た方がいいと忠告しながら渡すわけです。それくらい書くという作業が面倒なのも、おそらくきれいな字を書かないとやばいという危機的状況になったことがないからと言えるでしょう。もしかしたら、これから先字が汚くて損をする場面があるかもしれませんが、実際にその場面になってみない限り私が字を書くことに多くのエネルギーを消費することはないと思われます。

 

では、そろそろパソコンでタイプすることもめんど……〔省略〕。

 

 

以上、めんどくさがりやの私が【めんどくさいとは何か】真剣に考えた結果やっぱりめんどくさくなった話でした。

*パソコンでタイプするのは字を書くほどでないにしてもめんどくさいものですね 誰か考えただけでブログが完成してしまう魔法の装置を発明してくれないものでしょうか

 

 

 

まるで新しい家???【Endurance(エンデュランス)カメラバッグHG 2気室構造】を分かりやすく画像で紹介

えっ、新しい家???

 

いや、何言ってるの?って怒らないでくださいm(__)m

 

カメラやレンズを入れるところの仕切りが部屋みたいに見えるって話ではないんです。

 

*目次*

 

 

 

1.カメラバックの外見(正面)

 

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Endurance(エンデュランス)カメラバッグHG 2気室構造 (正面)

 

2.カメラバッグの外見(左)

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 開きます(私の場合、カメラへのアクセススピードより財布へのアクセススピードを重視するので、ここに財布を忍ばせています〔内緒〕)。

 

3.カメラバッグの外見(右)

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開かないです(笑)

右のポケットは500mlのペットボトルが入るくらいです(プラスでキシリトールガムが3本くらい入る余裕あり)。

 

 

4.大きさ

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 右にある緑のモノはA4の紙が入る大きさのファイルです。

左にあるのは、15.6インチのノートパソコンです。

 

*比較するものが微妙な点はどうぞご了承ください

 

 5.背中側ポケット

パソコンを背中側に入れるとこんな感じ↓

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 そこそこ大きなパソコンですが、かなり遊びがあります。

 

6.仕切り部分(カメラやレンズを入れるところ)

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 仕切りは全部引っ剥がすことができるので、区切り方はかなり自由度があります。

*あ、レンズそんなに持ってないのでこんな感じですが、お金持ちな皆様はどうぞ高級レンズで埋めてください(涙)

 

7.新しい家とは?

本題ですね。なぜ私がこのカメラバックを「新しい家」と表現したかというと、とにかく部屋のようなポケットがたくさんあるからなんです。いや、見るからにポケットたくさんあるだろっ、てツッコまないでください。実際にポケットを開けていく動きは、まさに新しい家に引っ越してきていろいろな扉を開けてみるワクワク感とそっくりなのです。「ここも開く、ここも開く!え?こんなところも!!!」って感じです(笑)。

 

8.おわりに

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こちらは、日向ぼっこ中のカメラバックです(笑)。

実際に使ってみると背中と肩のクッション素材の部分に、結構汗がすいつきます(自転車移動だったのもあると思いますが…)。使用後は、軽く水で洗い流して干しておくのがいいかもしれません。

 

 

以上、【Endurance(エンデュランス)カメラバッグHG 2気室構造】の紹介でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロードバイクの一泊旅でマクドナルド難民になって分かった6つのこと【寝場所の確保】

生まれて初めてカメラ持ってロードバイクで一泊旅を試みた結果、

 見事にマック難民になりました(笑)。

 1.宿をとる

私が今回の一泊旅に出ようと試みたのは、前日の夜でした。「あ、明日バイトないじゃん!旅行こう」って感じのノリです(笑)。ですので、そもそも宿をとるという考えすら頭になかったのです。もしも、行き先が決まっているのでしたら、格安でもよいので宿をとることをお勧めいたします。

 

2.宿泊場所の存在確認

私は、これを怠ったがために痛い目にあいました。ネットカフェ、行ってみたらなかったんです(涙)。だって、あのグ〇グルさんの地図に載ってたんですもの。そりゃあると思いますよ…。つまり、泊まる予定の場所が本当にあるのかという情報収集が大事になってきますね。本当に今現在その宿泊場所が存在しているか、電話してみるという手もあるかもしれません。…マクドナルド難民にならないためにも。

 

3.カラオケフリータイムはあてにならない

ネットカフェがないと知って、真っ先に向かったのがカラオケ店でした。フリータイムで少しは寝れるかな?と考えたわけです。しかし、一人カラオケをよくやる私は分かっていました、フリータイムには3時間保障というものがあることを。3時間保障とは、もしも店舗が込み合ってきた場合3時間経ったら出てもらう可能性がありますよ、ってやつです。過去の経験から、ほとんどは3時間で追い出されます。平日の昼なんかは5時間くらい歌えたりもしますが、夕方から夜中にかけてはなかなか難しいです。結局、この時も3時間ぴったりで追い出されました。

 4.カラオケ店予約必須の場合も

カラオケ店を追い出されて行き場がなかった私は、グ〇グルマップで近くに別のカラオケ店があることを知りました。フリータイム二回はさすがに金銭的に痛いなぁと思いながらも、外にいるよりはましだと思って二店舗目のカラオケ店に入りました。すると、真っ先に「ご予約はされていますか?」と聞かれました。まさか、入って5秒で追い返されるとは…(涙)。寝る場所としてカラオケ店を期待するのはあまりよくなさそうです。

 

5.マクドナルド難民

さぁ、本格的に居場所がなくなってきた私が行きついた場所、それがマクドナルドでした。夜中になると、街が真っ暗になる中、マクドナルドとコンビニだけが神様のように輝いて見えました(笑)。さすがにコンビニでは寝れないと思い、藁をもすがる思いでマックに入りました。カラオケ店で夕食を済ませていた私は、おなかもすいていなかったので、アイスコーヒーと無料クーポンのポテトSだけ買って席に着きました。安いものを買って長く居座るという世間から見ると迷惑と言われる行為です(これに関しては賛否両論あると思いますが)。でも、そんな悪気はありながらも、そんなことを言ってはいられないと割り切って、スマホを見てる振りや本を読んでいる振りをしながら寝ました(熟睡はできないですが気休み程度の仮眠です)。0時くらいには店内にも人がパラパラといるのですが、3時にもなると数えられるほどです(私のほかに2名だった気がします)。正直、余りいい気分ではありません。さすがに、5時間も居座っていれば店員さんに「まだ帰らないのかよっ(おこ)」って思われても仕方ありません。やっぱり、マクドナルド難民にならないに越したことはないのです。

 6.野宿(おまけ)

今回の旅ではしませんでしたが、宿もないしマックもない!ってゆう究極にやばい状態になったとき、残された手段は野宿しかありません。あの、野宿女子で有名な加藤千晶さんによると、公園の公衆トイレがおすすめみたいです(ただし人が入ってきた場合はすぐに出られるようにら荷物はまとめておく)。他には、道の駅やバス停なども寝られるそうです。私も野宿だけはやったことが無いので残念ながら経験談で話せませんが、一度は野宿旅もやってみたいものです。

 

 

以上、皆さんはマクドナルド難民にならないようにくれぐれも気を付けてくださいね(^^)/

*24時間営業でないマクドナルドもありますので、営業時間をご確認の上でマクドナルド難民をお楽しみください

東大生でも有名私立大学生でもない一般大学生がブログを始めてみたのでとりあえず自己紹介、、、

こんにちは。

とりあえず初投稿なので、気合を入れるようであまり入れずに、自己紹介していきたいと思います(*´з`)

 

自己紹介

 

1.大学生

 大学生です(*^^)v。特に、有名な大学でもないです。東大生が何かつぶやけば、東大生というだけで説得力があるものです。しかし、特別頭がよいといわれているわけでもない一般レベルの大学生が普通のことをつぶやくことにもそれなりに意味があるのではないかと思っています(それなりにという曖昧な言葉が一般レベルである象徴です笑)。ということで、一般大学生のそれなりの意見をなんとなく読み流す程度で見てくれると嬉しいです。

 

2.スポーツ好き

 スポーツは好きで、小・中では空手、中・高ではソフトボール、大学生の今は何となくプールで泳いだりサイクリングをしたりランニングをしたりして楽しんでいます、、、。スポーツはやるのも好きですが、スポーツ哲学的なマニアックな分野にも興味があります。スポーツとは何か?と常々考えます。哲学的な分野は考えても答えが出るものではないです。しかし、自分にとってスポーツとは何か?を考えることは生きる意味とは何か?の答えを出すための第一歩だと考えています。

 

3.現在の生活

 気まぐれに生きてます。お金がないと何もできなさそうなのでとりあえずバイトに通い、講義の時間になればバスか自転車で大学に向かい、疲れたらお昼寝をし、サークル活動(泳いだり走ったり…)があるときは行ったり行かなかったりします(今はやってないです)。趣味はコロコロ変わるので、多いと言えば多いですが、ないといってもいいレベルにすぐ飽きてしまいます(*´з`)。今はまっているのは、何ヵ月か前に買ったはいいものの壁に立てかけられて部屋のインテリアと化していたギターです。特に曲は弾けません、Cコードが鳴ったといって喜んでいるレベルです。

 

4.将来の夢

 これが現在の私にとっての最大の難関課題といってもよいです。将来の夢は何ですか?ということはしばしば聞かれます。本当に自分がやりたいこと、またはすべきことは何だろうということは常々考えます。高校生までは、一所懸命に成績を上げたり部活で活躍したりするだけで充実するものです。しかし、大学生になると成績というものが自身のすべてを評価するものではないと気付き、また自身の身体能力に限界があるということを悟ります。そして、もっと他にやるべきことがあるのではないかという気持ちになります。でも、その「他にやるべきこと」はいくら探しても見つかりません。ブログを書くことが何かに繋がればいいなあなんて少しだけ思ってます。

 

5.ブログ開設に至った経緯 

 ブログ開設をした理由は、とにかく自分の意見を主張しないではいられないと思ったからです。大学生になるとパソコンでのレポート課題というものが要求されます。確かに時間がなくて眠くて仕方がない時にはとても苦痛な作業です(*_*;。しかし、時間に余裕があれば楽しかったりします。このレポート課題によって、文章で自身の見解を主張することにハマってしまったのです。そのような経緯で、ブログを開設してみようということになりました(^^♪。

 

 

以上、東大生でも有名私立大学生でもない一般大学生の自己紹介でした。